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2007年2月28日 (水)

思い出のウェディング

最近、うちの店はウェディングに力を入れている。

勝手に私が力を入れていると思っているだけで

まだ私が力を入れている事を世間に知らせていない為

口コミで知ってくださったお客様が来店くださるのみだが

ありがたい事に確実にウェディングのご注文は増えつつある。

・・・で、色々なカップルが来店くださり

最近のウェディング事情をお聞きするにつれ

自分のいいかげんだった披露宴の事が思い出され

もう一度やり直したいような、もうどうでもいいような複雑な心境になった。

----  そもそも、私たち夫婦にはプロポーズの言葉もなければ感動秘話もない。

どういう訳かわからないが気づいたら結婚する事になっていた。

もうそろそろ結婚しようかな・・・とお互いに思っただけである。

自分たちで勝手に日取りを決め

家から歩いて行けるからという安易な理由で近所の式場を予約。

両家の親には事後承諾で「この日に結婚式やります」と報告。

当時、旦那と私は仕事の休日が合わなかったので

下見や打ち合わせもほとんどないままに時間が経過した。

新居も私が一人で探したものだ・・・

結婚の1ヶ月前頃、私が退職してからようやくバタバタと

式の準備を始め一週間前には写真の前撮りをした。

旦那は私の青いスパンコールでできたカクテルドレスを見て

「うわっ!すげ~青光りするな~!かと思った!」

と、非常に憎たらしい事を言っていた。

旦那の白いタキシードだって演歌歌手みたいだったが

言うと機嫌が悪くなるので黙っておいた。

---  いよいよ式当日の朝、すっぴんでジーパンの私は

風呂敷を下げてホントに徒歩で式場入りした。

式は神前式で巫女さんに誘導されて式場に入るのだが

旦那は相変わらず自分ひとりでスタスタと歩いて行ってしまい

巫女さんから「新婦を置いていかないでください!」と注意を受けていた・・・。

その後の披露宴は滞りなく順調に進み、

いよいよ最後の万歳三唱である。

旦那にはあれほど

「自分たちは万歳しないでお辞儀するんだよ!」

と言っておいたのに

横を見ると赤ら顔の酔っ払いがご機嫌で万歳をしていた・・・。

私の視線に気付いた旦那は「あ、やべ~!」とつぶやき

ぺこりと頭を下げたのだが

顔を上げた旦那を見て驚愕した!

凄い勢いで鼻血が出ていたのだ・・・

真っ白なタキシードを真っ赤に染めた旦那は

衣装さんに取り囲まれ濡れたお絞りでタキシードをトントンされていた・・・

旦那の鼻血も治まり、

私たちはみんなの作ったアーチをくぐって退場することになった。

私は前述の鯖のスパンコールドレスである。

このドレスはかなり身体のラインにぴったりしたものだった。

妙に低いアーチをくぐるため思いっきり身を屈めねばならず

しかも11センチのハイヒールを履いていたため

凄くふらつきながらよたよたと進行した。

真ん中あたりでさらにアーチが低くなっており

くぐる為にほぼ直角に腰を屈めたのだが

その瞬間、ベリっという不吉な音がして周りのみんなが騒ぎ始めた。

「や、破れたんじゃない?」

という従姉妹や友達の声がした。

「え?」と思っていると

瞬く間に衣装さんに隅に連れて行かれついたての裏で破れた箇所を繕われた・・・

どうやらファスナーの縫い目が裂けたようである。

それにしても衣装さんの素早い対応には感動した。

そんなこんなで、衣装さん泣かせの私たちの披露宴は

赤っ恥をかきながら無事(?)終了した。

ドレスを脱いで朝来た時のジーパンに着替えロビーに下りると

華やかな振袖姿の友達が集まって談笑していた。

近づいても誰も気付かない。

「今日はありがとう!」と大声で言うと

みんな一様に驚き

「なんでそんな格好なの?」と言われた。

なんでと言われてもいつまでもスパンコールで歩くわけにはいかないのだ。

風呂敷を抱えているのを見て

「大女優と付き人みたい!」と一人が言い出しみんな爆笑していた。

大女優とは私の前を歩いていた母である。

独身時代にホントに女優をしていた母は

留袖姿で優雅に歩き、完全に私より目立っていた・・・。

後日、弟に任せておいたビデオを再生してみると

巫女さんだの私の会社の同僚だの女友達だのしか映っておらず

主役の私の姿はどこにもない!

弟に文句を言うと

「自分の見たいものだけを撮った」

まるで大物カメラマンのような事を言っていた・・・。

bloomへようこそ

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2007年2月12日 (月)

合格発表

受験シーズンになると必ず思い出す人物がいる。

子供の頃同じ町内に住んでいた同級生のお兄さん、Tさんである。

彼とは学年が1つか2つ離れていたが

小学校から高校まで同じ学校だった為

名前と顔は知っている・・・くらいの存在だった。

聞いた話によると・・・

彼は高校に入ってからグループを結成した。

バンドではない。

確か、奇怪団というグループで

主な活動内容は「奇怪な事をしでかす事」らしかった。

具体的には、毎日バス停を少しずつ移動させて

自分たちの都合のよい場所にバス停を持っていこうとし

警察からお咎めを受けた事もあったらしい・・・

---  ある日の夕方、テレビを見ていると

ニュースで地元の医大の合格発表の様子が流れた。

受験番号を張り出した掲示板の前に

ひときわ大喜びし、胴上げをしているグループが映っていた。

その胴上げをされている人物は

よく見るとあのTさんではないか!

「すごい!あの人は変わってるだけじゃなかったんだ!」

さっそく母に報告すると

「Tさんとこのお兄ちゃん秀才だね~」

と、感心しきりである。

そのニュースは狭い町内に瞬く間に知れ渡り

Tさん宅の電話はお祝いコールが鳴り止まなかったらしい・・・

----  で、Tさんのお母さんはその対応に追われ

カンカンに怒っていたという。

なぜなら  ---  Tさんは医大を受験していなかったからだ。

胴上げをしていたのは言わずもがな「奇怪団」のメンバーである。

名誉の為に付け加えるが

Tさんたちは、もともととても成績優秀な人々だった。

あの人たちは今、どうしているのだろう・・・

bloomへようこそ

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2007年2月 7日 (水)

父の豆まき

節分の日の豆まき、

それは私にとってちょっとほろ苦い思い出である。

うちの父という人は殊更に「季節行事」を重要視する傾向にあった。

お正月に始まり、クリスマス、年越しに至るまでの12ヶ月

我々は行事毎に父の作ったルールに従わねばならず

大変な苦労の連続であった・・・

例えば元旦は朝6時に居間に全員揃わねばならない。

しかも正月らしく、きちんとした格好でなければ許されない。

大晦日に夜更かしをした身には大変な苦痛である。

そして、全員揃ったところで父から一人ずつお屠が注がれ

今年一年の抱負を語らなければならなかった。

「え~、今年もとりあえず勉強と部活がんばりま~す!」

というような軽いのりで話すと父は途端に機嫌を損ねるため

かなり気を遣いながら熱く一年の抱負を語ったものである。

その後も雑煮のもちは一人必ず3個以上食べるという勝手なルールや

1月4日に書初めをするという慣わしもあった・・・

そんな父が年中行事の中で一番力を注いでいたもの

---  それが「節分」である。

小さい頃はそれなりに楽しめた豆まきだったが

年頃になるにつれ、だんだん苦痛へと変わっていった。

---- 弟が高校生、私が短大生のある節分の日のことである。

大量の豆と、鬼の面、福の面を準備万端に用意した父は

玄関にいわしの頭を飾り朝からはりきっていた・・・ようだ。

私も弟もすっかり「節分」の事など忘れ帰宅時間がいつもより遅くなっていた。

家に帰ると、先に帰っていた弟が何やら眉間にしわを寄せ目で訴えかけている。

家の中にただならぬ緊張感が漂っているのを感じた。

ふと見ると、食卓の上に太巻き置いてある。

「あ!節分か~・・・」

その一言が父の怒りに火をつけたらしく

「節分の日に何時まで遊び歩いてるんだ!!!」

とものすごい形相で叱られた。

「すみません・・・」

一応謝り、キッチンにあった豆の枡を手に取って

「さあ、豆を撒こう撒こう!」と盛り上げた。

弟に鬼の面をかぶるよう言うと、ぶつぶつ言いながらも従った。

仕方なく自らも福の面をかぶる。

だんだんと父の機嫌もなおってきているようだ。

やれやれ・・・

まずは2階の部屋から豆を撒くのがいつもの慣わしである。

いい年になって鬼と福の面をかぶった我々は

のろのろと重い足を引きずりながら2階へ上がった。

まずは一番端の部屋のドアを開け

私が豆を撒く。

「鬼は外・・・福は内・・・」

小声で言いながら豆を撒き、部屋に入っていた弟を追い出した。

彼は完全にやってられね~といった顔でだらだらと部屋から出てくる。

そこで、またもや父の怒りの導火線に火がついてしまったようである。

「お前たち、なんだその態度は!やる気があるのか!」

----  やる気などあるわけないが

仕方なく大声で「鬼は~外~!福は~内~!」と叫んだ。

2階の各部屋を豆まきした後は1階である。

超仏頂面の弟に

「我慢しな!もうちょっとリアルに痛がって逃げなよ!」と耳打ちすると、

「ちぇっ」と舌打ちしながらも

さっきよりは演技にリアリティが出たようである。

よし、その調子だ!

そして最後に玄関に追い詰められた鬼が痛がりながら外に出て行く・・・

というストーリー性のある一連の流れにのっとり

ようやく鬼に扮した弟を玄関から追い出す段になった。

あと少しの辛抱である・・・

が、ここに来て弟が鬼の面を取り

「はい、もういいやろ?」

と言い出したから大変である。

ようやく機嫌をなおし、豆を気持ちよく撒いていた父の顔が曇った。

また怒鳴られるのかと思ったが

「もういい・・・もう豆まきは来年から俺一人でやる。」とつぶやき

部屋へ引っ込んだ。

背中に哀愁が漂っていた・・・。

----   それから1年後、節分の日に家に戻ると

恐ろしい程大量の豆が家中に散乱していた・・・。

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